札幌平和の福音教会
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牧師相馬剛

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人の豊かさは何にあるか

ルカの福音書12章15~21節

人の豊かさは何にあるでしょうか。
ある人は多くの富を持つことであると思うかもしれません。ある人は多くの知識を持つことであると思うかもしれません。ある人は地位や名誉を得ることであると思うかもしれません。
そうでしょうか。イエスはそうでないと言われます。そのためにイエスは譬えを語られました。
「ある金持ちの畑が豊作であった。彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜お前から取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」

ここに出ている話は、単純で、分かりやすく、理解できる内容です。この話の中に出ている人は、豊かになることを追求していました。彼の畑は豊作になりました。現代風に言うなら、彼はまじめに働き、一代で事業を起こし成功したのです。勿論、彼は悪いことをしてとか、また、人をだまして成功したのではありません。彼の畑は大豊作でした。しかし豊作は、農業する人たちの手のみによるのではありません。その人たちの成功の背後には、彼らの努力以上のものがあります。気候等が関係しています。晴れの日と雨の日がバランスよく続くと豊作になります。台風があるかないかとも関係します。
もし豊作に恵まれたとき、農業する人たちは、これらの要素に摂理的に働いておられる神に感謝すべきではないでしょうか。しかし、この農夫は、神に感謝しようとも思わないで、心の中で「どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない」と考え始めました。農家の人たちにとって大豊作は良いものであるだけでなく、困ることもあります。何故なら、穀物をしまっておくための十分な倉庫が必要だからです。もし、その余分なものを、そのまま市場に持って行くなら、安い値段にしなければならないでしょう。価格が安いのは消費者には良いですが、生産者には困ります。もうけが少なくなるからです。いわゆる、豊作貧乏になってしまいます。
この譬えに出ている人はどうしたでしょうか。彼は心の中で考えて言いました。「どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。・・・こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はみなそこにしまっておこう」と。
ここに「私の」という言葉が3回出ています。これは彼がいかに物質主義に耽っていたかを表しています。彼は、彼の富のいくらかを、天地万物を支配しておられる神にささげるべきか、又は、貧しい人にも分け与えるべきであったのです。しかし、そうしないで、如何にそれを自分のために上手に用いることができるかについて考えました。そして、いいことを考えつきました。彼は喜んでこう言いました。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」
この決断には、高慢さと快楽主義に満ちています。この人は、人生を曲解していました。彼は、自分で自分のいのちを支えていると思っていました、自分の力で成功し、金持ちになったと思っていました。それは誤解です。神は彼に言われました。「愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」
「愚か者」ということばは「思慮のない者」、「感覚が麻痺している者」、「知識と知恵のない者」等のことを指すといわれます。旧約聖書詩篇には「愚かな者は心の中で『神はいない』と言う」とあります。この人は愚かにも神様はいないと思っていました。人間は自分の人生から、神を無視すると愚か者になるのです。この地上で最も栄華をきわめたソロモンでさえ、晩年に「空の空。空の空。すべては空。日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか」と言いました。
神なしの人生は、いかに愚かで、空しいものであるかが分かります。

そこで、イエスは言われました。「自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」 ここでイエスが言っておられることは、天に宝を蓄えないで、地上の野望を追及する人は、神に対して富まない人であるということです。
では、私たちが愚かな、物質主義的貪欲にならないようにするにどうしたらよいでしょうか、それは神が私たちに与えてくださったものを、神の栄光と他の人のために用いることです。
人の豊かさは何にあるのでしょうか。財産にあるのではありません。神にあるのです。
ところが、人間は、天地万物を創造し、支えておられる神から離れ、神に感謝もしないで、物質中心の生き方をしています。経済的に豊かになることを優先し、心を豊かにすることをおろそかにしています。そのため、多くの人は、喜びのない、不安な人生を送っているのではないでしょうか。このままだと死に、永遠に滅んでしまいます。これこそ愚かな生き方です。
しかし、神はそういう私たちをあわれみ。ご自分のひとり子イエスを遣わしてくださいました。イエスは、人間の罪の身代わりに十字架で死に、よみがえり、信じる者の罪を赦し、新しいいいのちを与え、 充実した人生を送り、死んだ後天国へ行くことができるようにしてくださいました。
そういう意味で「人の豊かさは何にあるか」という質問の正しい答えは「イエスにある」ということです
私たちがイエスに信頼し、イエスにあって生きるとき、不安、空しさから解放され、喜びと希望をもって生きることができるのです。私は数年前、ある本で、こういう話に出会いました。

ある日、仕事のため疲れていた牧師が、馬に乗って森の中に入って行きました。彼は手綱を引いて、彼が行きたいところに馬を行かせました。間もなく森が切り開かれた開拓地に出ました。その開拓地の真ん中に小さな小屋がありました。その家の前に年老いた婦人が座っていました。牧師は馬から降りて歩き、その老婦人に話しました。「あなたは一人で住んでいるのですか。」すると、彼女は「ハイ、先生、イエス様と私だけです。それだけです。イエス様と私だけです。」
そのとき、その牧師にとって、その小さな開拓地が天国の港のように見えて、天使が賛美しているように感じたとのことです。
人の豊かさは何にあるでしょうか。金、地位、名誉にあるでしょうか。そうではありません、イエスご自身にあります。イエスがともに居てくださること、イエスとともに歩むこと、これこそ私たちの慰め、喜び、希望です。

2021年9月10日
札幌平和の福音教会 牧師 相馬剛